自宅から50メートル程の緩やかな細い坂道を下ると目前は衣奈漁港、今は二車線道路が湾に沿って通り漁港施設の物揚場や防波堤、埋立地が整備され見違えるほど変貌しているが、我が故郷の青い海は悠々と広がっている。
幼い頃夏になると、近隣の友達と毎日毎日海に行って泳いだものです。
防波堤の先端から2~3メートルほど下の海面目指し飛び込んだり、川巾5メートルほどを泳ぎ渡ったり、水中に潜り苦しい息の中で5センチメートルほどのハゼをヤス(金突)で取って喜んだり、幼い私にとっては冒険をしたつもりで、真っ黒に日焼けし体の皮がむけるまで遊び廻ったものです。
夕方には近くのみかん畑へ行って土中から這い出してくる蝉の幼虫(むく)を採取し、鳥かご等に入れて羽化させたりするのが日課でした。
秋から春にかけては近くの裏山には夏みかんが段々に植えられた畑、山中に入るとアケビ等がたくさん取れる里山等遊ぶ場所としては事欠かなかった。
野荒をして夏みかんを拝借したり、田んぼに入りカエルを追っかけたり、雑木を切って木刀を作りチャンバラ遊びで畑の中をかけ廻ったりして随分と迷惑をかけたことを思い出します。
高校を卒業する昭和38年頃は、日本経済が高度成長期の真っ只中で、友達の大多数は京阪神へ就職し、故郷を後にしていったが私は都会への憧れもなかったし、生まれ育った故郷衣奈を出て生活していく勇気も自信もなかったので、家族の勧める由良町役場に就職して以来現在に至っているが、平素の生活や職務の中で「故郷」をあまり強く意識してこなかったのが現実でしたが、平成20年5月の町長選挙に立候補し町民の支持を受けて町政を担当することとなりました。
町政推進の基本方針として「ふるさとに誇りと活力を」をスローガンに万葉の昔から和歌にも詠まれた風光明媚な景観を有し、紺碧の海、白い岬など大自然に恵まれた由良町、更に「金山寺味噌」や「醤油」の発祥の地である開山興国寺など、貴重な文化財にも恵まれている故郷由良町に自信と誇りを持つとともに先人たちが愛し、築き上げた貴重な財産を更により良いものにして次の世代に受け継いでいく為の先導役としての責任を重く感じながら町政に取り組んでいる日々であります。
春雨に映えて眩しいような薄緑や緑に萌える新緑に包まれた山、秋には黄色、茶色に紅葉した木々に混じってひときわ艶やかなハゼの紅色など、今まであまり感じなかった自分を育ててくれた故郷の里山を眺めながら職場に向かう今日この頃です。