平成18年1月。霊峰高野山を源流とする有田川でつながる3つの町が出会い、有田川町が生まれた。この歴史的な一大事業の意義を考えると、吉備町・金屋町・清水町合併協議会会長としての責務に、身の引き締まる思いがしたことが思い出される。
また、同年2月に実施された町長選挙により、初代有田川町長としての重責をお預かりしてから、早くも2年あまりが経過した。この間、町民の皆様からのご意見を真摯に受け止め、様々な行政課題に取り組んで来た。
合併が、即座に行財政基盤の強化となる訳ではない。改革への不断の努力により、合併の効果が最大限に活かせるものである。
平成19年3月に、有田川町行政改革大綱および実施計画を策定。本格的な改革に着手した。同年9月には、町の最上位計画である第1次有田川町長期総合計画を策定し、町の将来像を「きらめき ひろがる 有田川」と設定した。
これらの計画に基づき、限られた行財政資源を最大限活用することによって、構想が着実に実現している。
本年3月15日、悲願であったJR藤並駅橋上化・特急停車が実現し、利便性が格段に向上した。完成が待たれる阪和自動車道の4車線化との相乗効果により、本町は有田地方の玄関口としての期待が高まっている。
発展への好機を逃す手はない。有田川流域の観光資源を観光ルートとして形成し、効果的にPRすることで観光誘客を図って行きたい。
そのために、行政のアクションは当然であるが、さらに重要となってくるのは、地域住民や民間企業との協働である。このことは観光産業の振興に限らず、すべての分野に通じる。
全国的にも有名な地域ブランド「有田みかん」、生産量日本一を誇る「ぶどう山椒」をはじめとする農産物の知名度向上も急務である。他にも少子高齢化の進行、雇用の創出、農林業の振興、道路網整備、そして財政健全化など、取り組むべき課題は山積している。
地域住民と行政とが連携・協働し、有田川町が持つ潜在力を最大限に発揮することにより、これらの課題に果敢に取り組んで行くことが、新時代の「まちづくり」であると確信している。
私が以前から一貫して主張している、住民の皆様が『合併して良かったと思える』まちづくりのため、そして、有田川町をより一層「きらめかせる」ために、骨身を惜しまぬ決意である。
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